言葉の教育

{ 言葉の教育は子供への最大の贈り物 }

人間の思考というのは、言葉を用いる以上その人の所有する語彙の範囲を超えられるものではありません。語彙が増えることで思考力は増していきます。人間はおよそ10歳頃まで、いわゆる「つ」のつく年齢までに、脳の約90%が完成すると言われています。幼児期は後の人生の土台作り、脳が働く仕組みを作り上げていく上で非常に重要な時期です。この可塑性に優れた幼児期に、語彙力と思考力を培い、美しい古典のリズムで感性を磨く。子供たちの考える力となる礎を築くことは、その後の人生を豊かにするために、とても重要なことなのです。

全ての学びは国語力から

人間の知的活動の基礎をなすのは国語力

国語(言葉)

どのような学問をするにしても、その方面の書物を読み、理解しなければなりません。読解力の高い人ほど、より多くの知識を吸収することができます。専門分野の学問に限らず、学校で学ぶ勉強も同じです。読解力、国語力のある子供は、その他の教科においても伸びしろが大きくなるのです。

算数と国語力

計算問題
→
8+(8−3)=13
答え13匹

例えば、算数で上記のような文章題があります。この問題の解答は13匹ですが、8+(8−3)=13という単純な計算はできても、文章題になるとこの式を導き出せない子供が多いといわれています。それは、”国語力の違い”にあると言われています。算数以外の教科においても同様です。言葉の教育に適した時期である幼児期に、しっかり土台を培うことが大切だと考えます。

知的活動とは語彙の獲得

お茶の水女子大学名誉教授である数学者の藤原正彦先生は、石井方式35周年記念講演会で以下のように述べられています。

全ての知的活動の基礎は言語であり、母国語であると言うことです。母国語というのは自分の考えを表現する手段だけではなく、母国語によって思考していると言うことです。したがって、思考=言語である、母国語である。この意味で国語は重要であります。学問ということも私の定義に於いては語彙の獲得である。数学でも物理でも化学でも新しい概念を語彙に変えてゆく、語彙の獲得である。日本語の場合は語彙の半分以上は漢字で出来ており、そう言う点で先ず初等教育では漢字を徹底的に叩き込む。強制的でも画一的でも全くかまわない。(そのうち子供本人も楽しくなる)たとえば、私はニュートンやアインシュタインより数学は出来るんです。それは私の方が頭が良いからではなくて、数学の知識の量で彼らを圧倒しているからなんです。数学的語彙の力で圧倒しているということです。その上での考える力、独創力、創造性と言うことです。そして、あらゆる知的活動で幼少期に於ける最も重要なのは読みである。その次に書きである。それから昔、寺子屋の先生がやっていたようにそろばん(算数)であります。同時に読書を勧める。湯川秀樹先生も漢文の素読を子供の頃祖父様から習い、本好きになったと著書にも書かれております。このようにして、自ら読書する習性を養うことが重要であると思います。 石井方式35周年記念講演会 藤原正彦先生講演より

読書が育むのは国語力だけではありません

読書が語彙を増やし、国語力の向上に有効なことは周知の事実ではありますが、更には“情緒力”を育むためにも非常に有効です。他人の痛みを自分のものとして感じることが出来る優しさや、家族愛、友情などは実生活、実体験の中でも育むことは出来ますが、社会的、文化的価値(自国、他国は問わない)を理解する高次の情緒力(郷土愛、文化・伝統を愛する心、美意識、もののあはれ、など)は、時空を越えた存在である「書物」に頼らざるを得ません。読書により身に着いた情緒力は、普遍的価値として物事を論理的かつ総括的に判断する際に必要な「大局観」をも育んでいきます。やがては、社会人として、国際人として巣立っていく子ども達には、一にも二にも読書の習慣がつく教育が必要です。弊社では、読書習慣が身につく、自ら本に手を伸ばす子供に育てる教育を実践しております。

論理的思考力の礎

漢字で教える石井方式

なぜ、幼児教育から漢字?

表音文字であるひらがなやカタカナは、それぞれの文字自体には意味はありません。子供は、一字一字の文字を拾い読みしてしまい、読んでいても一つの単語としてなかなか意味をつかむことができません。対して、漢字は表意文字といわれ、それ自体に意味をもつ文字です。漢字で表記されていると、一つの単語としてとらえ、意味をつかみ取りやすくなります。また、ひらがなやカタカナよりも複雑な漢字は記憶の手掛かりが多いために、かえって記憶に残りやすいのです。

どちらの文章が読みやすいでしょうか?

線

どれが一番覚えやすいでしょうか?

つまり、幼児にとって、漢字はひらがなよりもやさしいつまり、幼児にとって、漢字はひらがなよりもやさしい 漢字は言葉の意味を捉えやすく、イメージしやすい!

幼児期の記憶の特性を活かした「適時教育」

幼児期は見たもの聞いたものを丸暗記する能力(機械的記名能力)が非常に高い時期です。幼児は漢字を見、形を丸ごと覚えてしまいます。その能力を無理なく活用できる幼児期をおいて、言葉の教育に適した時期は他にありません。しかし、その能力には臨界期があり、およそ10歳くらいまでと言われています。漢字を用いた言葉の教育は、幼児期とって正に「適時教育」なのです。教育学者の石井勲博士は、幼児期のこの特性に着目し、幼児期から「漢字で教える」教育を実践されました。石井方式は、絵本などを用い、幼児期の早い段階から「漢字かな交じり文」に親しむことにより、自然と語彙を増やし、日本語を正しく深く理解する力を育てることを目的としています。漢字力が身につけば、自ずと読書にも抵抗が無くなり、言葉も自然と豊かになっていきます。

クリックで石井先生紹介ページを開きます。
※クリックで石井先生紹介ページを開きます。(幼年国語教育会のページへ)

登龍館は絵本も漢字かな交じりです

幼児向けの絵本といえば、文章はひらがなだけでした。しかし、教育学博士・石井勲先生が発見したことは、意外なことに幼児にとって漢字はやさしいという事実でした。幼児期から漢字かな交じり文の絵本を与えることで、日本語を正しく理解する力が育まれます。教え込むということではなく、子供が自分で発見できる環境を作ってやり、共に喜ぶ姿勢が大切だと考えています。

仲良し文庫 化け比べ
昔々のこと。土佐の国に化け上手でとんちがきく狸が住んでいた。
幼児期は、まず読むことから。書けなくても良いのです。

「読める字はすべて書けなければいけない」「漢字はひらがなより難しい」という固定観念があります。しかし、書くことは読むことに比べて、たいへん難しいことがわかっています。ですので、幼児期には、特にまず読むことから始め、言葉をたくさん増やしてやることが重要です。読みの学習が繰り返され、字形の認識も深まると、自然に子供自ら書きたくなります。

山

音読の大切さ・古典の素晴らしさ

目で見て、耳で聞き、声に出す

目で見て、耳で聞き、声に出す

更に語彙を増やし、正しく言葉を理解する助けになるのが「音読」です。音読は、目で文字を追い、声を発し、耳で聞くという多くの作業を伴うため、脳への刺激も多く、記憶の定着の助けとなります。音読する際には、語のまとまりや言葉のリズムに気を付けることが大切です。表意文字である漢字とかなで構成された文章を読む習慣ができた子供は、言葉の意味がとらえやすく、「は」「を」「へ」などの助詞の役割にも自然と気付いていきます。
また、古典には、美しい最高のリズムが備わっています。幼児期に古典作品に触れることによって、意味はわからずとも、日本語が持つ美しさとリズム・語感が身に付きます。これは、幼児期にクラッシック音楽を聴いて育まれた音感と同じように、大人になって身に付けようとしてもなかなか得られない感覚なのです。

更に語彙を増やし、正しく言葉を理解する助けになるのが「音読」です。

また、明治大学教授の齋藤孝先生は、自身の著書にて以下のように述べられています。

日本語を体得するという観点からすると、子どもの頃に名文と出会い、それを覚え、身体に染み込ませることは、その後の人生に莫大なプラスの効果を与える。意味を解釈したとしても、暗誦できていないとすれば、その詩や名文の威力は半減してしまう。文章の意味はすぐにわからなくてもいい。長い人生のプロセスのなかで、ふと意味のわかる瞬間が訪れればいい。こうしたゆったりとした構えが、文化としての日本語を豊かにする。 齋藤孝著『声に出して読みたい日本語』(草思社)より